歴史を学ぶことについて

にわかに自分の中で歴史への関心が高まっている。

網野義彦の「日本社会の歴史」を読んだり、日本の神話に関する記事や動画を見たりしている。この流れは昨年の夏くらいからあったのだろう。昨年の8月に「昭和16年夏の敗戦」を読み終わり、その数日後に初めて広島へ行く機会があった。そこで、いくつかの気付きがあったのだが、そのあたりから昭和や明治という時代がどういうものだったかを、肌感覚で知りたいと思うようになった。それで時々調べるようになっていた。

しかし自分にとって、歴史を学ぶことに対する考えが変ったのは大学2年の頃だろう。それまでは、歴史を調べることについて、あまり考えてはいなかった。中学のときは、暗記することに情熱を傾けていたように思う。高校では、世界史は取っていたが頭に入らず、学年が上がると選択で理系クラスに進み、歴史への関心も薄れた。

大学生のあるとき、大学図書館の個人机で、量子論についての本を読んでいたときふと思ったことがあった。量子論の特に前期量子論は、古典力学から量子力学への発展過程でとても面白いのだが、その理論を学んでいくうちに分からない点も出てきた。現象をどう捉え、それをどのような数式で表すかというのは重要であるが、そこで詰まっていた。そのときに、公式や現象の捉え方だけで考えるのではなく、ある理論の成立背景や関わった人物などの歴史的経緯を知っておくと、頭が整理しやすいのではないかと思ったのだ。そうやって、物理史というものに気が付くと、また違った視点で物理の本を読めるようになる。

物理の歴史が物理史であるように、いろいろな分野に各々の歴史がある。化学史、生物史、服飾史、料理史、スポーツ史。そう考えると、人間の営為のあらゆる事が歴史なのだ。そのことに大学2年の図書館で気付いたとき、自分にとっての歴史の見方が変ってきた。それ以来、日本史をもう一度、中学のときぶりに勉強してみようかと、思ってはいたがなかなか手がつけられず。それが、ここのところなんとか続いている。