夢の記録 14

2007年6月14日(木)

いくつかの夢を見た。その中には、少なくともこの「夢の記録」を書き始めてから見た夢のうちで、最も非現実的というか奇想の展開を見せたものがあったのだが、その内容については、例によって忘れてしまった。

忘れた夢を、あるとき、ふと思い出すこともある。その夢の中での体験を、そのままの形で思い出せる、物語れるというわけではないのだが、そういう出来事があったという断片的な、ある部分だけが特に強く現れてくる。それ以外の、周りの出来事についてはすっぽり抜け落ちているような感覚。これは、現実に対する記憶でもそうであることが多い。ただ、現実のほうでは、ある出来事を思い出すとき、その前後も滑らかに続いていて、引き出されるように思い出すこともある。

夢では、ある出来事とある出来事が連続ではなく、起きた後でつながっているように感じられるということがある。しかしながら、夢の場合でも、強烈な出来事によって引き出されるということが往々にしてあるので、特定の出来事の強度が必要かもしれない。夢は、物語というよりは、コンパクトな映像、絵のような思い出され方が多いように思う。それはやはり、部分部分が独立しているというか、脈絡がないことによるのだろう。夢ではしばしば、突然場面が変わったり、人が入れ替わっていたりする。

さきほど見た夢。すでに上空にいた。着陸してから気づいたことだが、この飛行機、あるいは鳥人間コンテストで学生たちが飛ばせている一人用飛行艇のような、あれより多少胴体部分が大きい二人用のそれの、前に操縦士がいて、自分は後ろにいた。自分は何かを写真に収めるためにこの乗り物に乗り込み、空を周遊しているらしかった。手にはカメラが1つあった。一眼レフのカメラで、その感触が生々しかった。しっかりと手になじんでいた。そもそも現実には、カメラに久しく触っていなかったので、この感触の記憶はおそらく、先日友人とダ・ヴィンチの受胎告知を見に行った日に、さくらやでカメラコーナーに立ち寄り、久しぶりに手に取ったことに依っているのだろう。

たとえば、何かに触ったときに、その瞬間とはいくらかズレがあったとしても、触感が記憶に定着する。それらが幾重にも重なり、また他の触感とも互いに関連し合い、それをもとに夢の中で似たような体験をしたときに、その感覚がよみがえる、ということはよくある。では、夢の中でまったく未知の体験、自分がしたことのない運動、行ったことのない場所で感じるものは何なのだろうか。何かを感じるのだろうか。むろん、直接その体験とは関係なくても、それまでの現実における体験の記憶の集積からランダムに、だがある必然性を持って、選び出され、つなぎ合わされ、それが夢の中での未知の体験の触感、あるいは感覚として感じられる、ということはあるかもしれない。

話を戻すと、空を飛んでいて、自分はカメラを使って、たぶん雲の動きか何かを撮っていた。枚数を制限されていたのか知らないが、2枚だけ撮った。そして着陸態勢に入るのだが、飛行機のボディは半透明で、外はもやがかかったように見えづらく、うっすらと草原のように見えるだけだった。草をかきわけつつ、ゴリゴリという音がしたかと思うと、胴体を地面にこすりながら次第に減速していった。停止して、降りると、寺のようなものが目の前にあり、地面も草ではなく砂利になっていた。降りたあとに、なぜ写真を2枚しか撮らなかったのか、もっとたくさん撮っておけばよかったという後悔の念に駆られた。そこで誰かに話しかけられたのだろうか、会話があったような気がするが覚えていない。

もう1つの夢もあったが、それも覚えていない。こじんまりとした部屋ではなく、広くてなだらかなスタンドがある球場か、何かの会場のように感じられる場所にいたことは覚えている。スポーツマンNo1決定戦の跳び箱種目で選手が待機している場所のような、そんな感じのなだらかさだったかもしれない。