夢の記録 24

2007年12月12日AM1:15

昨日書いた夢(夢の記録 23)の中で、玄関が舞台だった夢では、山本君が兄弟を叱る声がリアルだったのだけど、それはおそらくバイトで一緒だったころの記憶が関係しているかもしれない。いつもの大きな挨拶や掛け声が記憶に残っていたのだろう。

1つ思ったことは、夢の中での自分、相手、もしくは他人の発言はどのようにして発信され、どう聞いているのかということだ。というのは、夢を見ている人間に対して、耳元で何かをささやいて、ささやかれた本人に対して起床後に夢の内容を尋ねたときに、ささやいた事柄と関係があるような情報が得られるか。あるいは、睡眠中の寝言に対して、それを聞いている起きている人が(寝ている当人にとっては意識的なコミュニケーションではないけれど)会話をして、それがどう夢に反映されるのかといったことや、夢の中での人物の発言とどう関係しているのか興味が湧いたのだ。

仮に、話しかけてくる人もいない、テレビやラジオなどもない、至って静かな場所に眠っていたとして、夢の中の会話は、夢を見ている本人の脳内で生み出され、交わされているものである。自分の発言はともかく、相手の発言も自分の脳で生まれているというのはどういうことだろう。そこには脳の無意識の部分や記憶がかかわっているのだろうとは思う。

夢の中での自分の行動はなかなか意識できないことが多い。まず、夢の中の人物、とくに自分と感じられている(主観性)人物が、いろいろ乗り変わったりせずに安定しているときに、行動をコントロールできるかという点。人それぞれで違ってくると思うけれど、知合いの中には、自分の思うようにできるというのが何人かいるが、自分の場合はできないことが多い。

そのことが、夢の中での自分の発言にも言えるかもしれない。もちろん、自分がこう言いたいと思って言っているときもあるが、ときには第3者的に、自分の発言を自ら聞いているようなときもある。そのようなときに、夢の中での自分の行動をコントロールできていないぎこちなさを感じる。それはじつは、相手が発言をしているときなのかもしれない。つまり、冒頭で自分、相手、他者の言葉はどう発言され、受け止められているかと書いたが、私が私であるという主観性の知覚自体はぼんやりと全体を覆っていて、そこに他者(無意識)の言葉が立ち上がるときに上記のような、自分の発言が第3者的に聞こえたり、実は相手がいてそれを聞いてたり、あるいはそれらがないまぜになったような状態になるのではないか。加えて言えば、夢の中で相手がしゃべっていて、それに対して自分が受け答えしているときには、あたかも2人の人間が会話しているのを側で聞いているような感覚になるのかもしれない。