吉田松陰全集 第1巻 (岩波書店, 1940) 編纂総則ならびに凡例

編纂総則ならびに凡例

 本全集は刊行の辞にも明らかなように昭和十一年四月に完成せる山口県教育会編纂、岩波書店発行の吉田松陰全集十巻本を底本とし、旧全集に収載せられた他人の関係文書及び抄録類の一部を除外して松陰先生の遺著遺文のみを主として集めて全十二巻に分載したもので、広く国民の書として普及せしめるために、平易に通読できることを第一の目的として、漢文を書流し国文に改め、漢文交じりの書簡文その他の和文も一切読み下しに便なるように改めたものである。従って厳密な意味に於いて松陰先生の書き遺された原文そのままの姿ではもちろんないが、上述の相違を除いては全集が採択した原本が即ち本全集の原本となったものであるから、一応旧全集編纂の時の原本決定及び資料蒐集について概略を述べておくことにする。

一、原本の決定
全集の内容を大別して松陰自作のものと関係文献とにし、その資料としては、それぞれ真蹟本・写本及び既刊本と区別した。このうち真蹟本がある場合にはこれを原本とし、同一の書に二種以上の真蹟ある場合は概ね後期のものを採用した。真蹟本がなく、叉あっても未整理の初稿で、成稿は写本として存する場合は、写本を原本とし、二種以上の写本ある場合は調査のうえ何れか一方を採った。但し結果としてはこの場合は極めて稀であった。
かくして決定された原本は、担当委員が所定の用紙に転写し、更に他の真蹟本ある場合はこれと照合の結果を傍記又は欄外に注記し、漢文には句読返り点を付し、書簡文及び侯文使用の上書等を除く以外の和文には句読点を加えた。ただし原本にそれがある場合はその旨を記し、ない場合には句点と読点との別を設けず、すべて「、」であらわした。人名略称、特殊な事件関係、参照文献、方言などに必要あるときは註を加えた。成書の場合は一々解題ならびに凡例を作り、原本に目次なき場合は必要に応じて新たに作製補加し、かくして出来上がった原稿を順次委員に回送して閲を経、最後に各巻編纂主任の委員の手許でまとめた。
なお成書の題名は原本にあるものにより、その結果従来の刊行物とは名を異にするもの(例えば武教講録が武教全書講録と改められたが如き)も二三ある。また書名なき場合は従来行われた名称であれば、それを斟酌(しんしゃく)して新たに命名し、詩文書簡の標題中には編者の付けたものも少なくなかった。

二、資料の蒐集
資料は全国に散在しているから、まづ所蔵者の調査を行い、三人の委員が地方別に分担区域を定めた。故安藤委員は萩市松陰神社および萩市内、廣瀬委員は東京市および全国各地、玖村委員は萩氏以外の山口県および全国各地を担当した。各委員は概ね現地に出張して鑑定の結果採否を定めたが、やむを得ない特別の場合は写本に依ることとした。
資料が前条に述べた条件に照らして原本となり、また参照本となる価値のある時はこれを写し取り、原本との校合は必ず委員がこれに当った。参照本は単に原本の原稿と対照するにとどめた場合も多い。転写については原本の様式の文字を用い、行間欄外書、抹消訂正の文字なども原形のままの位置に写し、やむを得ない場合はその旨を注記した。
原本の筆跡に疑点あり、または読みとりがたい文字があるときは写真をとって各委員に送り、その意見を徴した。写し取りの責任は担当委員が負うべきであるから、それぞれ文末に所蔵者名を附し、その下に校合済として委員の姓略を符号を以て明示した。

右の規定に従って旧全集十巻は次の如く分類配列せられた。

述作篇 第一巻―第四巻
書簡篇 第五巻・第六巻
日記篇 第七巻
抄録篇 第八巻・第九巻前半
関係文書篇 第九巻後半・第十巻

 さて上に述べた立場に於いて編纂された旧全集はとにかく学術的定本たる一面に於いて、難読難解の苦痛も伴い、時勢が要求する一般読書人には多大の不便があったので、今回はまづ読み易くすることを編纂の第一原則として、次のように旧全集の形を改めることにした。

一、原文が漢文である場合は述作・書簡・日記の如何を問わず、すべて書流し国文に改めた。但し松陰先生の漢詩のみは、漢詩がもつ特殊性を重んじて特に原詩と読下し文を併載した。
漢文を書流文に改めるについては、簡潔な文字の間に無限の意味を含蓄する先生特有の文体様式をそこなわぬように周到な用意と苦心とを以てした。
原文の漢字は助字(例えば矣(い)<漢文の助字。置き字として文末で使われる事が多い。事態の完了や変化、断定、感嘆などを示す。>・焉(これ)の字の如きもの)を略し、接続詞(而・則など)を前後の文体上時として省略した以外は概ねこれを生かして用いたが、特に左の諸字の如きは仮名に改めた。

也(なり)
哉(や・かな)
夫(かな)
歟(か)
乎・邪・耶(や・か)
有(あり)
無(なし)
莫・勿・罔・无(なし・なかれ)
爲(たり・なる)
諸・焉(これ)
巳・耳・爾・而巳(のみ)
者(特定の人を指さざる場合のもの)
之(の)
自・従(より)
與(と)
見(らる)
可(べし)

但し漢詩の場合は原文を並載したから、便宜体裁上漢字を仮名にした場合もある。

二、原文が和文である場合といえども、文法的誤りおよび仮名遣いの誤りは正し、ほぼ現行法 ― 大体に於いて文部省国語調査委員会編纂の送り仮名法によったが、あくまでもそれに捉われるということはなく、読み易きを主とした ― に従って送り仮名を補い、濁点・句読点等を施した。候文の場合もその特有の原形を読下しのままに改めた。
この場合といえども、前条に掲出した如き特種の字は仮名に改めると共に、左記の如き宛字ないし特種の用字は便宜現代流に改めた。

玉ふ―給ふ
惣―総
云々の義―云々の儀
大?―大抵
然共―然れども
候得共―候へども
社―こそ

三、原本の変体仮名・片仮名は全部平仮名に改め、漢和両文を通じて、明らかな誤字は正し、略字は正字に、俗字も特に現今正字以上に広く用いられる場合を除いて正字に改めた。

四、原文に加えられた他人の批評および添削は原則として省略した。

五、詩文稿の原本中には、間々その内容の各篇が著作の年月順に排列してないものがあるので、今回はすべて著作年月日の順序に排列しかえ、年月不明のもので推定のつかないものを最後に置いた。従って原本に固有の目次も、新たに補加した目次も、共に本文順序通り改変した。

六、全巻を通じて、人名・地名・書名および故事古典の引用等に、必要に応じて簡明な頭註を施し、本文難読の文字には振仮名を附した。
但し松陰と直接交渉関係のあった師友門人等に対しては、第十二巻に「関係人物略伝」を収載したから、頭註にはその都度〔関伝〕の字を附記して読者参照の便に供し、注記を簡略にした。

七、各巻の首に特に重要な口絵を一葉宛収め、殊に第一巻頭には門人の書家松浦松洞の筆に成る肖像を原色刷にして載せた。

八、各巻の終りに各収載書について簡単な解説を附し、原本の所在および体裁、原文漢和の区別等を記し、かつそれぞれの担当委員名を附記して責任を明示した。

 大体右のような立場で編纂にあたったが、本全集収載内容については、普及版の性質上旧全集の如く抄録および関係書簡並びに文書の一切を網羅することはできなかったが、松陰先生自らの著作は全部収め、旧全集後に発見された書簡も増補し、特に重要な抄録と関係文書を撰択して載せ、全十二巻を次の如く排列した。

述作 第一巻―第七巻
書簡 第八巻・第九巻
日記 第十巻・第十一巻前半
関係文書・抄録 第十一巻後半・第十二巻

最後に印刷に際しての植字形式および諸種の記号についてその大要を記して置く。

一、松陰先生の原文は原則として九ポイント活字を使用した。但し原文の割註および書簡中他人より贈られたものの行間に返書が認めてある場合は六ポイント活字を使用した。

二、原文に附記せられた他人の評文で特に並載の必要を感じたものは、六号活字を以て多くは本文より一字下げて組込んだ。但し第三巻講講孟餘話の孟子の本文および同じく講講孟餘話附録の松陰反評文は、その性質上八ポイント活字を用いて区別した。

三、全巻を通じて、頭註および書簡見出し、詩文題目下の年月日等を除く編者の附記した文ならびに対応記号等には、いずれも括弧()を以て囲み、原文が()の中に記されてある場合は、〔〕符号に改めてその区別を示した。

四、原文中破損または虫食いなどで判読の不可能な字については□符号を以て示した。

五、書簡その他文稿中の題目下の年月日はもちろん編者の附したものであるが、推定の結果疑問ある場合は、(カ)の符号を以てあらわした。

六、頭註はすべて六ポイント活字を使用し、本文との対応符号は(一)(二)を以て示し、稀に*※を用いた場合がある。

 かくの如くにして本全集が努めて原文の平易化を企図したがために、一部の学究的読者にとっては多少の不満あることは当然予想せられることであるが、真の意味における普及版の性質に鑑み実にやむを得ないこととして諒解を仰ぐほかはない。従って篤志の読者に対しては本全集によって把握せられたものを基礎として、更に旧全集をも併せ読まれんことを希望する次第である。
 終りに戦時下物資統制の折柄にも拘らず、出版の全責任を負うて、終始一貫、よく本全集の目的を達成せしめられた岩波茂雄氏に深甚の謝意を表したい。

昭和十五年一月

編纂委員 廣瀬豊
玖村敏雄
同 西川平吉