吉田松陰全集 第2巻 (岩波書店, 1940) 福堂策

福堂策



http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1048648 P.301(コマ番号155/234)





元魏(1)の孝文、罪人を久しく獄に繋ぎ、其の困苦に因りて善思を生ぜしむ。因って云はく、「智者は囹圄(れいご)を以て福堂とす」と。此の説遽(にわ)かに聞けば理あるが如し。書生紙上の論、多く左袒(さたん)する所なり。余獄に在ること久し、親しく囚徒の情態を観察するに、久しく獄に在りて悪術を工(たく)む者ありて、善思を生ずる者を見ず。然らば、滞囚は決して善治に非ず。故に曰く、「小人閑居して不善を為す(2)」と、誠なるかな。但し是れは獄中教なき者を以て云うのみ。若し教ある時は何ぞ其れ善思を生ぜざるを憂へんや。曾(かつ)て米利幹(メリケン)の獄制を見るに、往昔は一たび獄に入れば、多くは其の悪益々甚しかりしが、近時は善書ありて教導する故に、獄に入る時は更に転じて善人となると云う。是くの如くにして初めて福堂と謂うべし。余是(ここ)に於て一策を書す。世道に志ある者、幸に熟思せよ。



一、新たに一大牢獄を営し、諸士罪ありて遠島せらるべき者、及び親類始末に逢いて遠島せらるべき者は、先づ悉(ことごと)く茲(ここ)に入る。内、志あり学ある者を一人を長とす。親類始末のことは余別に論ありて筆録とす。此の策は只今の有様に就いて云うのみ。



一、三年を一限とす。凡(およ)その囚徒、皆出牢を許す。但し罪悪改むることなき者は、更に三年を滞らす。遂に改心なき者にして後、庶人に降し遠島に棄つ。尤も兇頑甚しき者は、三年の限に至るを待たず、是れを遠島に棄つ。是れ皆獄長の建白を主とし、更に検覈(けんかく)を加ふ。



一、長以下、数人の官員を設けざることを得ず。是れ獄長の建白に任すべし。総べて獄中の事は長に委任し、長、私曲あり、或は獄中治まらざる時は専ら長を責む。



一、獄中にては、読書・写字・諸種の学芸等を以て業とす。



一、番人、獄中の人数多少に応じ、五六名を設けざるを得ず。而して共の怠惰放肆(ほうし)の風を巌禁し、方正謹飭(きんちょく)の者を用ふべし。番人は組の者を用ひ、番人の長は士を用ふべし。



一、飲食の事は郡夫に命じ、別に日々監司(後れ付の類)を出し監せしむべし。獄中銭鈔を儲へ、恣(ほしいまま)に物を買ふを巌禁し、各人の仕送り銀は番人中一人を定め、是れを司らしむ。即ち今野山獄の肝煎の如し。



一、獄中断じて酒を用ふることを許さず。酒は損ありて益なし。此の事不易の論あり、茲に贅せず。



一、隔日或は両三日隔てて、御徒士目附を廻し、月に両三度は御目附廻りもあるべし。廻りの時は獄中の陳ずる所を詳聴すべきは勿論なり。



一、医者は毎月三四度廻すべし。若し急病あれば願出で次第、医をして来診せしむべし。



附人の事、湯水の事、江戸獄中の制に倣ふを可なりとす。



一、獄中昼一の制を作り、板に書して楣(はり)に掲ぐべし。



右に論列する所に従って一牢獄を営せば、其の福堂たるも亦大なり。余幸にして格外の仁恩に遇ひて、萬死の誅を減ずることを得。其の身を岸獄に終ふる、固より自ら安んじ自ら分とする所なり。然れども国恩の大、未だ涓埃(けんあい)を報ずるを得ず、深く忸怩する所なり。因りて願ふ、若し新獄の長となることを得ば、或は微力を伸べて萬一を庶幾(しょき)することを得ん。但し囚中、其の才学余に過ぐる者あらば、余も亦敢へて妄りに其の前に居らざるなり。余野山獄に来りてより、日々書を読み文を作り、旁(かたわ)ら忠孝節義を以て同囚と相切磋することを得、獄中駸々(しんしん)()として化に向ふの勢あるを覚ゆ。是れに因りて知る、福堂も亦難からざることを。且つ人賢愚ありと雖も、各々一二の才能なきはなし、湊合して大成する時は必ず全備する所あらん。是れ亦年来人を閲して実験する所なり。人物を棄遺せざるの要術、是れより外復たあることなし。当今動(やや)もすれば人を遠島に処す。余精(くわ)しく在島の容子を聞くに、降して庶人となすよりも甚し、全く百姓の奴隷となるなり。堂々たる士人をして此の極に至らしむること、豈に怱々(そうそう)にすべけんや。故に余は先づ獄に下し、必ず已()むことを得ざるに及んで、然る後遠島に処せんと欲す。是れ忠厚の至りなり。但し放縦は人情の安んずる所にして、厳整は其の厭ふ所なれば、右の如く制を定むる時は必ず悦ばざる者衆(おお)し。然れども、是れに非ざれば福堂の福を成すに足らず。方今庶政維()れ新たに、百弊革(あらた)めざるはなし。独り囚獄の政に於て、未だ至らざるものあるを覚ゆ。故に余故(ことさ)らに私に策すること此くの如し。然れども是れ独り士人の獄法を論ずるのみ。庶人の獄に至りては更に定論あり。今未だ贅するに暇あらず。



安政乙卯(3)六月朔丙夜、是れを野山獄北第一房に於て書す。二十一回猛虎









政を為すの要は、人々をして鼓舞作興して、各々自ら淬励(さいれい)せしむるにあり。若しそれをして法度の外に自暴自棄せしめば、善く政を為すと云ふべからず。而して其の術、賞罰の二柄にあり。賞典は姑(しばら)く措()いて論ぜず、罰を以て是れを論ぜん。方今諸士中、隠居の者、或は禁足し或は遠島し或は拘幽する者、意(おも)ふに幾百を以て数ふべし。余此の輩を視るに、法度外に自暴自棄する者、十常に八九に及ぶ。其の自ら淬励する者の如きは実に十中に一二を得るも亦難しとす。余が福堂策を作る、其の是くの如きを憂ふるなり。而して更に一処置を思ふことあり。近時、洋賊陸梁、勢将(まさ)に事を生ぜんとす。此の時に当りて、勇毅敢死の士最も国に用ありとす。今新たに一令を下して云はく、「凡そ隠居の輩、敢へて自ら暴(そこな)ひ自ら棄つることなかれ。一旦事ある、用いて先鋒に当つべし。果して能く功を立てなば舊秩縁に復すべし」と。若し然らば、幾百人敢死の士、立処(たちどころ)に得べし、亦是れ国家の一便計と云ふべし。余常に近世士道の衰頽(すいてい)を嘆ず。囚となつて以来、益々罪人と居り、又在島人の情態を聴くに、大抵自暴自棄して放縦自ら処り、士道都(すべ)て忘るるに至る。然れども人斯の性なきはなし。斯の性あれ ば斯の情あり、斯の性情ありて而も且つ自棄する、豈に其の甘んずる所ならんや。誠に委靡壊敗(いびかいはい)自ら奮ふこと能はざるに坐するなり。然れども人必ず(おも)はん、彼の輩罪あり、故に廃す、何ぞ又更に起し用ふるに堪へんやと。余窃(ひそ)かに以て然らずとなす。夫は罪は事にあり人にあらず、一事の罪何ぞ遽(にわ)かに全人の用を廃することを得んや。況や其の罪已に悔ゆる、固より全人に復することを得るをや。罪はなほ疾の如きか。目に盲する者、固より耳鼻に害なし。頭に瘡ある者、固より手足に害なし。一処の疾、何ぞ全身の用を廃するに足らんや。其の一処に疾()みて全身従って廃するものは心疾是れのみ。而して心疾豈に人々にあらんや。酒に酗()し色に耽り、貨を貧り力を恃(たの)む、世の所謂大罪なり。而して余は則ち謂(おも)へらく、一事の罪にして未だ其の全人の用を廃するに足らずと。叉是れを禽獣草木の人に於けるに譬(たと)ふ。牛馬言語せずと雖も、載すべし耕すべし。草木行走せずと雖も、棟梁とすべし屋席とすべし。今や人一罪ありと雖も、何ぞ遽かに禽獣草木に劣らんや。要は是れを用ふる如何にあるのみ。有罪の人、固より平時に用ふべからずと雖も、是れを兵戦の場に用ふる時は、其の用を得ると云ふべし。漢時、七科の謫(たく)を発して兵とす。其の意、蓋し亦斯くの如し。是れ余が人を鼓舞作興するの一処置にして、福堂策に附録する所以なり。



余已(すで)に此の論を作りこれを同囚に語る。或ひと曰く、「已めよ、人必ず謂はん、子自らの為めに計るなり」と。余曰く、「之れを計りて国に便するものは、吾れ何ぞ嫌を避けて言はざらん。吾れ之れを言ふに非ざれば則ち誰れか敢へてこれに及ばんや。且つ吾れをして自らの為めに計らしむれば、何を苦しみて身を忘れ法を犯して自ら困蹶(こんけつ)を取らんや」と。或ひと答ふる能はず。因って書す。



乙卯秋九月仲一日



野山獄囚奴寅誌す





(1) 後魏の別称。曹操の建てし魏に対していふ。もと拓跋(たくばつ)を氏とせしも孝文帝の時元と改姓す



(2) 大学に出づ



(3) 安政二年









<現代語訳>





福堂策





元魏(1)の孝文は、罪人を長いあいだ獄に繋ぎ、その苦しみによって善い思いが生じるようにした。したがって、次のように言うことができる「知恵のある者は牢獄を福堂とする」のだと。この説はにわかに聞けば一理あるように思われる。この紙の上の論は、学ぶ者であれば、多くは同意するところだ。私は長いあいだ牢獄の中にいて、親しく囚徒の状態を観察していると、長いあいだ牢獄の中で悪巧みする者がいて、善思を生ずる者を見ない。そうであるから、牢獄に留まっていることは決して善く治めることにはならない。したがってこう言うことだ、「つまらない人間が暇でいると、ろくなことをしない」と、誠なるかな。ただしこれは、獄中で教えがない者に対してのみ言えることだ。もし教えがある時は、善思が生じないことを心配する必要があるだろうか。かつてアメリカの獄制を見ると、昔は一たび獄に入れば、多くはその悪を益々悪くしていたが、近ごろでは善書があり、教え導くことによって、獄に入ると人が転じて善人になると云う。このようなことがあって初めて福堂というべきであろう。私はここにおいて一策を書きしるす。世の道徳に対して志がある者は、よくよく考えてみてほしい。



一、新たに一大牢獄を運営するにあたり、罪を犯して遠島させられる多くの者、及び親類始末に逢って遠島させられる者は、まず悉(ことごと)く茲(ここ)=牢獄に入る。その内、志があり学のある者一人を長とする。親類始末のことは、私は、別に論があるので別途筆録することにする。この策については現在の有様について言うのである。



一、三年を一限とする。だいたいの囚徒については、みな出牢を許す。ただし罪悪を改めることがない者は、更に三年を延長する。それでもついに改心がない者については、身分を下げて遠島に棄てる。もっとも凶悪な者は、三年の限度に至るまで待たず、これを遠島に棄てる。これはすべて獄長の建白=意見陳述を主とし、更に検覈(けんかく)=厳密な調査を加える。



一、長以下、数人の官員を設ける。これは獄長の建白にまかせられるべきである。総べて獄中の事は長に委任し、長が、自己利益を優先し、あるいは獄中が治まらない時は専ら長の責任とする。



一、獄中では、読書・写字・諸種の学芸等を以て業とする。



一、番人は、獄中の人数に応じて、五六名を設ける。これにより獄内の怠惰や勝手の風を巌禁し、行いが正しく真面目な者を活用するべきである。番人は、組の者から選び、番人の長は、士から選ぶべきである。



一、飲食の事は郡夫=地方からの労働者、武家奉公人に命じ、別に日々監司を出して監視させるべきである。獄中で金銭を貯え、恣(ほしいまま)に物を買うことを巌禁し、各人の仕送り銀は番人中一人を定めて、これを管理させる。すなわち今の野山獄の肝煎(きもいり)=二者の間を取り持つ者の如し。



一、獄中断じて酒を用いることを許さず。酒は損はあっても益はないからだ。この事はいつの時代も変わらない考えであり、ここでは贅沢はしないことだ。



一、一日置き或は二日、三日を隔てて、御徒士目附を廻し、月に両三度は御目附廻りもあるべきだろう。廻りの時は獄中の意見陳述を詳しく聴き取るべきは勿論のことだ。



一、医者は毎月三四度廻すべきである。もし急病があれば願い出があり次第、医者を来診させるべきだ。



附人の事、湯水の事、江戸獄中の制度にならうことを可とすべきである。



一、獄中昼一の制を作り、板に書して楣(はり)に掲げるべし。



右に論列する所に従って一牢獄を運営すれば、その福堂たるもまた大なり。私は幸にして格外の仁恩に遇って、萬死の誅を減らしてもらった。その身を岸獄に終えることは、固(もと)より自ら落ち着き自らの身の程とする所であった。しかしながら国恩が大きく、未だほんの僅かながらも報いることができず、深く忸怩たる思いだ。よって、もし新獄の長となることがあればと願う、或は微力を差し伸べる機会を万が一にと願う。ただし囚人の中で、その才能学識が私を超える者がいれば、私もまた敢へてむやみにその者の前に長で居るということはない。私は野山獄に来て以来、日々書を読み文を作り、旁(かたわ)ら忠孝節義を以て同囚と相切磋していて、獄中で周りの者が物凄い速さで変化していく様を見た。これによって、福堂もまた難しくはないということを知ったのだ。なおかつ、人には賢い者もいれば愚かな者もいるといっても、各々が一、二の才能はあるものだし、一つに集めて大きなことを成そうとすれば必ず全員が必要となるであろう。これまた年来、人を見ていて実際に経験したところだ。人物を棄遺しないための要術について、これより外には方法がない。当今、動(やや)もすれば人を遠島に処している。私は精(くわ)しく在島の事情を聞くと、身分を降して庶人となすよりも甚だしく、全く百姓の奴隷となっているようだ。堂々たる士人をこのような極に至らしめること、決してあわただしくやるべきことではない。故に私はまず獄から出して、必ずやむを得ない場合にのみ、然る後に遠島に処するべきと考える。是れ忠厚の至りなり。ただし放縦(規律なく自由)は人情が満足する所であり、厳整(引き締まって整う)はその厭(きら)う所であるから、右の如く制を定める時は必ず悦ばない者が多い。しかし、そうでなければ福堂の福を成すには足らない。今の政治全般、これを新たに、百弊を革(あらた)めないということはないのだ。独り囚獄の政において、未だ至らないものがあることを感じている。故に私がとりわけ密かに考えた策はこのような如くである。しかしながら、これは独り士人の獄法を論じたのみである。庶人の獄に至っては更に定論があるだろう。今は未だ贅するに暇あらず。



185561日夜、是れを野山獄北第一房に於て書す。二十一回猛虎







政を為すことの要諦は、人々を鼓舞し奮い立たせて、各々が自ら努めて励むことにある。もしそれによって禁止事項を破って自暴自棄となれば、善く政を為したというべきではない。したがってその方法は、賞罰の二柄にある。賞典は姑(しばら)く措()いて論じず、罰について論じよう。このごろ諸士の中で、隠居の者は、或は禁足し或は遠島し或は拘幽する者は、私が意(おも)うに何百人と数えるほどいるであろう。私はこの者たちを視るに、法度外に自暴自棄する者、十人中常に八九に及ぶ。自ら努めて励む者は実に十人中に一二いるかも難しいところだ。余が福堂策を作る、それは是くの如きを憂いているからだ。そして更に一つの処置を思うことがある。近ごろ、洋賊陸梁、その勢は将(まさ)に事が生じようとしている。この時に当って、勇毅敢死の士が最も国に必要である。今新たに一令を下して云わく、「凡そ隠居の輩は、敢えて自らを暴(そこな)い自らを棄てることなかれ。一旦事があれば、自らを用いて先鋒に当るべきだ。果してうまく功を立てたならば旧秩縁が回復できるだろう」と。若しそうしたのならば、幾百人におよぶ敢死の士を、立処(たちどころ)に得ることができ、また是れを国家の一便計と云うべきであろう。私は常に近世士道の衰頽(すいてい)を嘆いている。囚となって以来、益々罪人と居り、また在島人の情態を聴くと、大抵自暴自棄となり自ら放縦するようになって、士道を都(すべ)て忘れるに至る。然れども人はかの生まれ持った性質がないということはない。斯の性があれば斯の情(今持っている心情)があり、斯の性情ありて而も且つ自棄する、どうして甘んじてしまわないことがあろうか。誠に意気消沈し、壊れ敗れ潰えている状態で自ら奮うことはできず坐している。然れども人は必ず(おも)うだろう、彼の輩は罪があり、それゆえに廃している、なぜまた更に起用するに堪えられるのかと。私は窃(ひそ)かにそうではないのだと思っている。夫は罪は事にあり人にあるのではない、一事の罪でどうしてにわかに全人の用を廃することができようか。ましてやその罪をすでに悔いている者は、固より全人に回復することができるはずだ。罪は何と言っても疾病の如きものではないか。目が視えない者は、もとより耳鼻に不便はない。頭に瘡がある者は、もとより手足に害はない。一箇所の疾が、何で全身の用を廃するに足るのであろうか。一箇所が病むことで全身がそれに従って廃するものは心疾のみである。したがって心疾は登に人々にあらんや。酒に呑まれ色に耽り、貨を貧り力を頼りにすることは、世のいわゆる大罪である。だから私が思っているにはこういうことだ、一事の罪では未だその全人の用を廃するには足らないのだと。またこれを禽獣草木を人に例えた場合はどうか。牛馬は言葉を語らずとも、荷や人を載せることができ田畑を耕すことができる。草木は行走しないと言っても、棟梁とすることができ屋席とすることができる。今や人が一罪ありと言っても、どうして禽獣草木に劣るということがあろうか。要は彼らを如何にして用いるのかにかかっているのだ。有罪の人は、もとより平時に用いるべきではないと言っても、これを兵戦の場に用いる時は、その用を得ると言うべきであろう。漢の時代、七科の謫(たく)(七種の賤民)を発して兵とした。その意図は、おそらくまた斯くの如くであろう。これが、私が人を鼓舞作興する一つの処置にして、福堂策に附録する所以である。



私はすでにこの論を作りこれを同囚に語った。或ひと曰く、「やめたほうがよい、人は必ず言うだろう、あなたは自らの為に計画しているのだ」と。余曰く、「これを計画して国に役立とうとするのに、私が何で疑いを避けて言わずにいるということがあろうか。私がこれを言わなければ誰が敢えて言うだろうか。そして私が自らの為にこれを計画しているとするならば、何を苦しんで身を忘れて法を犯して自ら窮地に追い込まれるようなことをするのか」と。或ひとは答えることができないだろう。因って書す。



185592



野山獄囚奴寅誌す